ある古いおうちに、一匹の黒猫と、一人のおじいさんが住んでおりました。おじいさんは時計を直すお仕事をしていました。依頼のない日は、黒猫と一緒にご飯を食べて、あたたかなお布団で眠っていました。黒猫はおじいさんのお膝の上に座って、そのしわしわした手に撫でられているときが、いっとう好きでした。
あるとき、黒猫はなんだか眠れなくなって、おじいさんのお布団からこっそり抜け出して、夜のお散歩に出かけました。その日は月明かりが眩しくて、夜風が涼しくて、お散歩にはぴったりでした。黒猫が塀の上を歩いていると、空き地でだれかの声がしました。見てみると、空き地には、数匹の猫たちが集まってお話をしていました。黒猫が何を話しているんだろうと覗いていると、一匹のブチ猫がこちらに気づきました。
「やい、そこで何してるんだ」
ブチ猫は大きな声で黒猫に呼びかけました。黒猫はびっくりしてしまいましたが、ゆっくりと出て行って、「こんばんは」と言いました。
「お散歩をしていたんだけど、みんなが集まっているのが見えたから、気になって」
「ふぅん」
そう言ったのはキジトラ猫でした。キジトラ猫は続けます。
「おれたちは、お月様がまんまるの日に集まって、最近やった度胸試しを報告しているんだ」
「度胸試し?」
「そうだ。おれは4日ほどまえに、白いおおきな家から、お魚を盗んでやったのさ。身の部分は食べてしまったけれど、今日は骨の部分を持ってきたんだ。戦利品だよ」
キジトラ猫は自慢げに言いました。
「おいらはあそこのボロいアパートの、ゴミ捨て場を漁ってやったんだよ」
次にそう言ったのはサバトラ猫でした。
「あんまりいいものは見つけられなかったけど、おいらがそうやって漁っていると、一階に住んでいるおばちゃんが、ホウキを持って追いかけ回してきたんだ。びっくりしたけど、面白かったなあ」
黒猫はそういうものなのかと思いました。すると、隅っこの方で、ずっと静かに聞いていた白猫が、黒猫に声をかけました。
「おまえは最近、なにかそういったことをしたか?」
白猫がそう聞くと、さっきまで自慢げだった他の猫たちも、そうだそうだと一斉に鳴きました。黒猫はなんとなく、この中で白猫がいちばんえらいのだなと思いました。
「えっと……」
黒猫は悩んでしまいました。黒猫はお魚を盗んだことも、ゴミ捨て場を漁ったこともありませんでした。黒猫が答えられないでいると、白猫はふん、と笑って、「意気地なしだな」と、そう言ってのけました。
黒猫はなんだか嫌な気持ちになって、「そんなことないよ」と反論しました。
「いいや、そうに決まってる。もしそうじゃなければ、次のお月様がまんまるになる日までに、おれたちも驚くような、すごいことをやってくるんだな」
白猫はそう言いました。他の猫たちは、それに同意するように、じっと黒猫を見つめました。黒猫は「分かった」と頷いて、その日は空き地を後にしました。
しばらくの間、黒猫は度胸試しを何にするか考えていましたが、なかなかやることが見つかりませんでした。それもそうで、黒猫はずっと優しいおじいさんのお家で過ごしていて、怒られたことなんてほとんどなかったものですから、度胸試しが何を指しているのか、あんまりよく分かっていなかったのです。
あるお日様があたたかい日のことでした。黒猫はその日もなにかないかと思って、朝からおうちの近くをお散歩していました。今日はいつもと違う道を行ってみようと思って歩いていると、道の端っこにゴミ捨て場があるのを見つけました。黒猫はサバトラ猫がゴミ捨て場を漁ってやった、と言っていたのを思い出して、自分もやってみようと思いました。ゴミ捨て場の近くに行ってみると、一つのゴミ袋の中に、きらきらした何かがあるのを見つけました。黒猫は、キジトラ猫のように、このきらきらしたものを「戦利品」として持っていけば、きっとみんなから認めてもらえるだろうと思いました。黒猫はさっそく、ゴミ袋を爪で引っ掻いて、中のものを出そうとしました。しかし、ビリリと穴を開けられたまでは良かったのですが、中のゴミも一緒に出てきてしまって、さっき見つけたきらきらを見失ってしまいました。黒猫は出てきたゴミを前足でどかしながら、一生懸命それを探していました。しかし、あんまりにも夢中になってしまっていたので、自分の後ろに人間が来ていることに気づきませんでした。
「こらっ」
大きな声でそう言われて、黒猫はびっくりして飛び上がりました。声のした方を見ると、ホウキを持ったおばさんが立っていました。黒猫はサバトラ猫の言っていたことを思い出しました。ホウキを持ったおばさんが追いかけ回してきたのだと。黒猫は慌てて逃げようと身を翻しました。その時です。黒猫の前足に鋭い痛みが走りました。さっき黒猫が見た、きらきらしたものの正体は、ガラスの破片だったのです。しかし黒猫は逃げることにいっぱいいっぱいで、前足を庇いながらも、必死にそこから逃げ出しました。
いつもと違う道を歩いていたせいか、帰り道に迷いながらも、なんとかおうちに辿り着きました。黒猫は安心すると、ずきずきと痛む前足を引きずりながらおじいさんのいるお部屋へと戻りました。
おじいさんはお仕事をしていましたが、黒猫を見ると「おかえり」と笑いかけました。
「今日のお散歩はもう終わったのかな」
おじいさんがそう言うと、黒猫はニャアと鳴きました。おじいさんはそんな黒猫に、少しだけ違和感を覚えました。いつもだったら、お散歩から帰ってくると、ぴょんとおじいさんのお膝の上に乗って丸まっているのに、今日は大人しく床に座って、おじいさんの方を見ているからです。
おじいさんはお仕事の手を止めて、黒猫を抱きかかえました。すると、床に血がついているのが見えました。おじいさんがびっくりして黒猫の体を確認すると、黒猫が前足を怪我していることに気づきました。
おじいさんは急いで黒猫の前足をきれいに洗って、ガーゼを巻いてやりました。
「今日はずいぶんやんちゃだったんだねえ」
おじいさんは黒猫を撫でながら、ゆったりとした調子でそういいました。それがとってもあったかかったので、黒猫はやっぱりこれがいっとう好きだなと思いました。そしてあの猫たちは、この優しいおじいさんの手を知らないだろうとも。おじいさんに撫でてもらえるなら、ぼくは意気地なしでもいいやと、そう思うのでした。
執筆:らっこ
制作:仲澤詩音
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