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  • 執筆者の写真らっこ(編集)

光を運ぶ

 人に優しくしなさいという言葉を、毎日聞かされて育った。困っている人がいたら、手を差し伸べなさいと。それが自分の利益にならなくても、心の底からそうできる人々が、どれだけいるのだろう。

 私は一本の木を見上げてそんなことを思った。私はそういう人間になれているだろうか。強い風が吹いて、自分の赤髪が視界の端っこにうつる。もうすぐ嵐が来るのだろう。

十数年前から変わらずあるその木を見ながら、私は昔のことを思い出していた。──あの日も、きっかけは嵐だった。


 あるところに、小さな島があった。その島は、大抵の小さな島がそうであるように、裕福ではなかったものの、自然の恵みを受けながら細々と暮らしていた。

 しかしある時、島の住民のひとりが、海岸の大きな木のそばに、一人の男が倒れているのを発見した。その住民はどうすればいいのかわからなかったので、男が生きていることを確認したあと、他の住民を呼びに向かった。

 男が目覚めると、大勢の人々に囲まれていた。男は驚いたが、その人々が皆心配そうにこちらを見ていることに気づいて、なんとなく状況を掴んだ。

 男が目覚めたことに気づいて、住民たちは胸を撫で下ろした。住民たちの対応はほとんど完璧だった。彼が水を飲んでいないか、息はちゃんとしているかなどを確かめて、水で濡れた体が冷えないように毛布で包んでいた──彼が目覚めた直後に、「どこから来たんだ」「何があったんだ」「名前は何ていう?」と口々に質問を始めたことを除けば。


 倒れていた男はルークと名乗った。ルークは大粒の宝石のような目をしていて、ブロンドの髪は太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。着ているものも、長旅のせいで汚れてはいたけれど、高級品だということがすぐに分かるものだった。

 ルークは小さな舟でひとり航海に来ていた。なんでも、珍しい石を探すために、島を渡り歩いているのだとか。住民たちはどこから来たのか気になって尋ねた。ルークは自分の生まれ故郷を口にしたが、島の人々はその名前を聞いたことがなく、首を傾げるばかりだった。

「とにかく」

 人々の中から、しわがれた声がそう切り出した。その老人はアルフィという男で、村でいちばん賢くて、いちばんの年寄りだった。

「長旅で疲れただろう。今日はもう休みなさい。レベッカ、君の宿を貸しておやりなさい。宿代は私が出すから」

 レベッカと呼ばれた少女は、「分かりました」と返事をして、ルークの前に歩み寄った。レベッカは島の宿の娘で、若いながらもよく働く、よい少女であった。豊かな赤髪をしていて、それを後ろでひとつにまとめている。鼻の上にあるそばかすが可愛らしかった。レベッカはアルフィに頼まれて張り切ったが、ずっとこの島にいたものだから、知らない男のひとと話すのはこれが初めてだった。ルークのその大きな瞳に見つめられて、緊張で少しだけ頬を赤く染めた。

「こちらです」

 レベッカはそう言いながら、ルークの前を先導して歩いていった。ルークは「ありがとう」と笑って、彼女の方へと着いて行った。アルフィも後ろからついてきて、道すがら、ルークにいろいろと話しかけた。

「七日間も海を渡ってきたにしては、細い体をしておるな。……ああ失礼、この島は漁が盛んでな、男は皆ああいった体をしておるのじゃ」

 そう言いながら、アルフィは遠巻きに見ている男たちを指さした。彼らはみな背が高く、屈強で、いかにも力じまんといったような感じだった。

「わしも昔はああじゃった」

 アルフィはそう言って、しわしわの腕で力こぶを見せるフリをした。ルークはそれが面白くて、思わず笑ってしまった。アルフィは満足そうだった。

「もちろん、ずっと船の上にいたわけではないんですよ。途中まではちゃんと航海図もつくってきていて、順調にほかの島を渡りながら来たんですが──」

「ああ、そういえば昨日は海が荒れていたから──」

「そうです、そうです。船が転覆しないように必死で」

「船といえば、そうじゃ、よくあんな小さな船でそんな大旅をしようと思ったな」

「私の故郷では、もっと海が静かでしたから。本当に、あの嵐は肝が冷えました」

 何はともあれ、生きててよかったです、とルークは楽しそうに言った。

 すると、レベッカが立ち止まって、はきはきとした声でそう言った。

「ここです、どうぞお入りください」

 ルークたちの前には、他の建物に比べると大きな、三階建ての建物が建っていた。一歩中に入ると、木のいい匂いがして、受付の女性がにこやかに出迎えてくれた。レベッカの母親だった。名をオリビアといった。

「ああ、オリビア、客人じゃ。一番いい部屋を用意してやってくれ。代金はわしにつけておいてくれたらいい」

「はじめまして、ルークといいます」

「まあ、まあ、分かりました。ルークさん。ずいぶんとお召し物が汚れていますわね。長旅だったんではなくて? 一番いいベッドのある部屋にご案内しますわ。それから朝食にも、いちばんいいパンとミルクを」

「ありがとうございます」

 ルークはオリビアのもてなしに、心からお礼を言った。

「夕食はどうなさいます? こちらの宿でもご用意できますけれど」

「もしそれまでに疲れがだいぶ取れていたら、ビリーのところがいいだろう」アルフィは言った。

「それがいいわ。あそこは珍しいものも美味しいものもたくさん食べられますから」

「でも、お母さんのお料理もとっても美味しいわよ」

 レベッカはこっそり言った。レベッカはしっかり者だったから、夕食も宿で食べてくれた方が店としては良いことをちゃんと理解していたのだ。けれどオリビアは笑って言った。

「そうね、もしお客さんが女性だったり、またはご病気であまり食欲がなかったりするなら、ここの方がいいでしょうね。でもお客さんはそうじゃないでしょう。たくさん食べるべきだわ。それにもしお酒を飲むなら──」

「──尚更ビリーのところがいい」アルフィはにやりと笑った。レベッカも「そうね」と渋々頷いた。

 ルークはそのやり取りを聞きながら、村の人々はきっととても仲がいいのだろうと感じていた。ビリーという人間が誰なのか知らなかったが、おそらく何かの店の人間なのだろうとも。

 オリビアはもう一度ルークに向き直ると、鍵を渡して言った。

「こちらの話でごめんなさいね。階段を上がって左に曲がって、突き当たりの部屋ですわ。とにかくお疲れでしょうから、まずは休んでいただいて。お腹が空いたら降りてきてくださいね、夕食のお店へ案内しますから」

「分かりました、ありがとうございます」

 ルークは鍵を受け取って、ぺこりとお辞儀をした。二階へ上がる階段をのぼっていると、「ごゆっくり」と二人の女性の声が聞こえた。



 ルークが目を覚ますと、見知らぬ天井が視界に入った。体を起こしながら、ルークは今までのことを思い返す。ある島に流れ着いて、そこの村の住民に泊めてもらっていたのだった。ふかふかのベッドは暖かく心地が良くて、体は幾分か楽になっていた。安心したのか、ぐう、と大きな音が腹から聞こえてきた。そういえば、宿主のオリビアが、腹が減ったら降りてこいと言っていたっけ。ルークはそれを思い出して、備え付けられていた鏡ですこし髪やら服やらを整えると、荷物を持って部屋を出た。階段を降りると、再びオリビアが受付のところで出迎えてくれた。

「あら、起きられたのね。体はどうかしら?」

「ずいぶん楽です。ありがとうございます」

 ルークがそう言うと、「良かったわ」とオリビアが笑った。

「お腹は空いてるかしら?」

「はい、さっきまで気づかなかったんですけど、ぺこぺこで」

「そっちの方が都合がいいわ。ビリー──さっき説明してなかったけれど、ここで一番繁盛しているお店なの──のところに行くと、いやでもたくさん食べさせられるから……レベッカ!」

 オリビアが受付の奥に呼びかけると、レベッカが顔を覗かせた。

「ルークさんを連れてってあげてちょうだいな。アルフィのじいやもいるでしょうから、任せておけばいいわ。そんで、あなたもよかったらそこで食べてきなさい」

「わかったわ。……行きましょう、ルークさん」

 レベッカはそう言うと、またルークの前を先導して歩いてくれた。村はそこまで大きくなかったので、宿から「ビリーのところ」まではすぐだった。「ビリーのところ」に着く道中から、何やらいい匂いがしてきていて、ルークは余計にお腹が減っていた。

 「ビリーのところ」は所謂大衆食堂といったところで、大勢の村人で賑わっていた。あとから聞いた話だが、その日はアルフィがルークを歓迎するために人を集めてくれたらしく、いつもより盛況だったようだが。

 レベッカとルークが扉を開けると、アルフィがすぐさま気づいて、ゆっくりと近づいてきた。そしてその隣には、エプロンを着た背の高い男が一人いて、にこにことした表情を浮かべていた。

「おお、よく来たな。ちゃんと休めたか?」

「はい、おかげさまで」

「よかったよかった。さ、こっちに来い」

「じいさん、そんな、自分の店じゃないんだから」 

 アルフィがルークに席を勧めると、隣の男は困ったように言った。そしてルークの方を向くと、しろい歯を見せて笑った。

「こんばんは、お客さん。おれはビリー。ここで飯屋をやってる。アルフィのじいさんからいきさつは聞いたよ。大変だったろう、腹も減ってるはずだ。今日は君が無事にここへたどり着いたことのお祝いも兼ねているから、好きに食べてくれて構わないよ。お酒は飲める?」

 ルークが頷くと、ビリーは発泡酒の入ったジョッキをルークに手渡した。「ここじゃ最初はこれで乾杯するんだ」とウインクして。そして振り返ると、大きな声で店全体に叫んだ。

「それじゃあ、みんな、乾杯!」

 わっと歓声が聞こえて、かちゃかちゃと食器の触れ合う音が聞こえてきた。ルークは座っていただけだったが、ビリーが目の前の机にたくさんの料理を並べていったので、それを胃袋に詰め込んだ。アルフィが「漁が盛んだ」と言っていたが、魚料理が多かった。ちょっと味が濃かったが、こういう文化なのだろう、とルークは思った。何より最初に渡された発泡酒に合う。ルークはたくさん食べる方ではなかったが、勧められるままに料理をつついていた。

 旅に来た青年を一目見ようと、ルークの隣には入れ替わり立ち替わり誰かがやってきた。皆ルークのことを歓迎していた。そしてその中でも、村一番の漁師であったイーサンは、ルークの旅に一際強く興味を示した。

「兄ちゃん、どうやってここまで来たんだ?」

 イーサンはルークの隣に座ると、大きな声でそう言った。すでに相当飲んでいたのか、息からは酒の匂いがぷんぷんする。ルークはばれないように顔を離しながら、にっこり笑って言った。

「最初は航海図を持って、いろいろ島を渡っていたんです。でも昨晩の嵐で迷ってしまって」ルークはアルフィにした説明をもう一度繰り返した。

「そうか……おれたちも長いこと海に出てはいるが、日付をまたいでまで旅することはないからなあ。お前の故郷も、聞いたことがない。近くにもう少し大きな島がある。そこまでの行き方を教えてやるから、次はそこで調べるといい」

「本当ですか、ありがとうございます」

 イーサンは丁寧に隣の島までの行き方を説明してくれた。明日の朝はおそらく海も荒れていないだろうから、はやく出発したほうがいいとも。ルークはイーサンの説明を素直に聞いて、「では明日の朝に出発します」と言った。

「そうか! それなら今日は、歓迎会と送別会、どっちもやらなきゃな!」

 イーサンはそう言って、発泡酒のジョッキをあおった。楽しい時間は飛ぶように過ぎていった。


 とっぷり日が暮れて、ルークはレベッカと一緒に宿へと帰ってきた。オリビアはまた優しく出迎えたが、二人のまとってきたにおいに少しだけ顔をしかめて、「まずはお風呂ね」と言った。

「そういえば、ルークさんはいつまでいるのかしら──ああ、急かしているわけではないんだけれど」

「そうでした。親切な漁師さんがいろいろ教えてくださったので、もう明日の朝には出発するつもりです」

「イーサンかしら」

「はい」

 オリビアはやっぱりね、と言って笑った。

「そう、じゃあもう一度体を休めて、出発に備えないとね。ベッドは綺麗にしておいたから」

「ありがとうございます」

 ルークはそう言って頭を下げた。


 ルークが寝る準備をし終えた頃には、再び体は疲労に襲われていた。ベッドはオリビアの言った通り綺麗に整えられていて、何かのハーブの香りがほのかにした。よく寝られそうだった。

 ルークはふかふかの枕に頭を埋めて、そのままゆっくり眠りについた。


 次の日の朝早く、ルークはオリビアの宿を出た。日が登ってすぐくらいの時間だったが、島の住民たちの多くが見送りに集まってくれた。

「皆さん、本当にありがとうございました。どこの誰かもわからない私によくしていただいて」

 ルークはそう言うと、丁寧に頭を下げた。

「また会えるといいのう」

 アルフィはにこやかにそう言った。他のみんなも頷いていたが、ルークはその時が来ないことを知っていた。しかし言えなくて、笑い返すことしかできなかった。

「よくして頂いたお礼に、皆さんにささやかな贈り物があるのですが……」

「贈り物?」

「はい。私が海に出たら分かると思います」

 そう言うとルークは、この島についた時と同じ舟に乗りこんで、大きく手を振った。

「それでは、お元気で!」

 ルークは高らかにそう言った。住民たちはみな、彼の無事の航海を願って手を振り返した。舟はゆっくりと進みだして、遠くの方へいってしまった。

 アルフィは珍しい客人が見えなくなるまで、岸に立っていた。不思議な男だった。あんな細い腕で、あんな小さな舟で、海を渡ってきただなんて。昨晩の嵐だって、あの舟で耐えられるはずがなかったのだ。しかしアルフィは賢明だったから、彼に深く聞くことはなかったのだ。

「アルフィさん!」

 ぼんやりと海を見つめていると、焦ったようなレベッカの声が聞こえてきて、アルフィは振り向いた。そしてアルフィの目に飛び込んできたのは、あの男よりもずっと不思議で、信じられない光景だった。

 昨日の朝ルークが倒れていた木に、無数の宝石が実っていた。それらは太陽の光を受けて光り輝いていた。アルフィはルークの瞳のようだ、とおもった。贈り物とはきっとこのことだろう、と直感する。あの男は人間ではなかったのだ、きっと。そう思うと全て辻褄があうから。

 住民は数々の宝石に、喜ぶというより、じっと見惚れていた。アルフィが近づいていくと、その集団の中にいたビリーが近寄ってきた。

「じいさん、これ」

「ああ、ルークじゃろうな」

 二人は短い言葉で会話した。

「どうしたらいいんだろう」

「わしが思うに」

 もう一度言うが、アルフィは賢明だった。賢明だったから、じっとその宝石の木を見つめて、にやりと口の端っこで笑った。

「これはこのままにしておこう。そうすればみんなも、ルークのことをいつでも思い出せるじゃろう。それに、もしルークがまた迷ったら──」

「──目印にもなるね」

「そういうことじゃ」

 その言葉を聞いて、ビリーはにっこり笑った。他のみんなもそれがいいと言って、ルークの木を残したまんま、その場を立ち去った。レベッカは木の前で立ち止まった。吸い込まれるような輝きは、なんだかルークそのままのように見えて、また少し頬を赤く染めたのだった。





 

執筆:らっこ

制作:コシムラ

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