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  • 執筆者の写真らっこ(編集)

このまま二人で



 綺麗なものだけ見て生きたい。汚いものとか、怖いものとか、悲しいものとか、そういったものから目を逸らして、綺麗で、可愛くて、あったかくて優しいものにだけ触れて生きたかった。でも、もし世界から嫌なものが全部無くなったら、綺麗なものだけで世界ができていたとしたら、今綺麗なものは綺麗だと思えなくなってしまうのだろうか。私は薄い痣だらけの自分の腕と、目の前で涙を流している整った親友の顔を見てぼんやり思った。


 美憂は中学の時からの友人だった。中学の時はよく話すクラスメイト、といったくらいで、親友として美憂の名前をあげることはなかった。多分美憂もそうだったと思う。そして成績も大体同じような感じだった私たちは、高校も一緒のところへと進んだ。部活も二人とも吹奏楽部に入った。示し合わせたわけじゃなくて、二人とも自分で決めて入ったので、多分気が合うんだと思う。そこからだった気がする、二人で一緒にいるようになったのは。

 私たちは薄暗くなった教室で、二人喋っていた。高校二年目の夏休みだった。吹奏楽部は毎日のように練習があったから、夏休みだといっても、ほとんど毎日学校へと来ていた。私は夏休みが嫌いだったから、理由をつけて学校に来れるのが嬉しかった。美憂もいたから。いつもなら部活が終わると、帰りたくないな、なんてぼやきながら、ぶらぶらと二人で寄り道しながら帰っていた。下校時刻になると、正門が閉まってしまうから、長居はできなかったのだ。けれど今日は野球部が学校で合宿をやるとかで、正門がまだ施錠されていなかった。それをいいことに、私たちは下校時刻が過ぎても喋り続けていた。

 今日のメインの話は、美憂が他校の彼氏にフラれたことだった。他の部員が帰ってしまって二人になった教室で、美憂がそう切り出してきた。美憂は可愛いうえ、自分も面食いだったからか、いっつも悪い男に引っかかって、こうやって私の前で泣いている。今回の彼氏は特段酷かったらしく、美憂の首元にはうっすら何かで絞められたような鬱血痕が残っていた。ちょっと間違ってたら死んでたかもしれないのに。私はそう怒ったけど、かえってきたのはやっぱり、よくある「最初は優しい人だった」のセリフだった。

 いつも相談に乗りながら、無理して彼氏なんて作らなくてもいいのに、とそれとなく言うのだけれど、やっぱりしばらくすると美憂の隣には別の男がいた。なんだかなあ、と思う。美憂がヒロインの少女漫画だったら、私はずっと当て馬役の男の子なんだろう。なんでかって言ったら、私が美憂のことを好きだったからだ。  

 


 一通り美憂の泣き言を聞き終えたころだった。目を腫らしながら美憂はしばらく鼻をすすっていたが、「沙也加はさあ」と急に私の名前を呼んだ。

「夜の海ってどう思う?」

「え、エモい」

「やっぱ? エモいよな」

 そんな中身のない掛け合いをしたあと、美憂は「行ってみたいんよな」と呟いた。

「海に?」

「そう。夜の」

「ふーん。でも近くに海なんてないしな。あって琵琶湖」

 私は自分の住んでいる県が誇る湖の名前を言いながら、ばきばきに割れたスマホで『近くの海』と調べていた。昨日酔っぱらったお母さんに投げられてしまったのだ。使いにくいな、と思いながらもなんとか目を凝らしていると、兵庫の文字が一番上に出てきた。遠いな、と思った。

「そう、けど琵琶湖じゃ入れんし」

「入る気やったん?」

 私が笑うと、美憂は「笑わんといてよ」と赤い目で睨んだ。

「夜の海でさあ、頭からびちょびちょになってさあ、そんで帰りたい」

「売れへんバンドのPVみたい」

「ひど」

 美憂は全く怒ってないふうにそう言った。私は少し考えて、「なあ」と切り出した。

「うん?」

「それってさあ、プールとかじゃあかんの。おんなじ水やん。お風呂やったら流石に風情ないけど。プールやったら今多分開いてるで」

 そう言うと、美憂はぱっと目を輝かせた。

「全然いい。むしろ高校生やし、そっちの方がそれっぽい」

「それっぽいって何よ」

「売れへんバンドのPV見たいってこと!」

 そう言って笑うと、美憂は立ち上がった。



 善は急げというけれど(この場合は少しも善の要素がなかったのだけれど)私たちは鞄を持ってプールへと向かった。部活の練習用に着替えを持ってきていたから、服が濡れることは問題ない。髪の毛が濡れたまま帰る羽目になるけれど、帰り道で乾くかもしれないと、二人で長い髪を揺らしながら言い合った。

 プールがある場所は学校の敷地内だからか、施錠はされていなかった。というか、錆びてしまった南京錠が柵に引っかかっているだけだった。「ぼろい学校やと思ってたけど、セキュリティもぼろいんやな」と美憂が呟いた。

 こっそりそこに入ると、沈みかかっている太陽の光がきらきらと反射した水面が出迎えてきた。

「わー、めっちゃ久々に来た。中学以来かもしれん」

「プール選択してなかったもんなあ」

 高校の体育は中学と違って、習う競技を自分で選ぶことができた。私と美憂は水泳を選択していなかった。「だってただでさえ授業中眠いのに、泳いだあと授業受けるなんて考えられん」と美憂がぼやいていたのを覚えている。私は特にこだわりがなかったから、美憂と同じ、サッカーを選んだ。

 美憂はプールのへりの方でうーん、と伸びをした。

「よし、じゃあ入るかあ」

「自分で言うといてあれやけど、バレへんかな」

「まだ大丈夫やろ。野球部とかまだグラウンドおるし」

 そういう問題じゃないんだけどな、と思ったが、美憂は靴下を脱いで、裸足を水面につけていた。私も履いていた靴下を脱いで、美憂の隣に立つ。恐る恐る足を伸ばしてみると、心地よい水が肌を撫でた。

 そうやって足で水を掻き混ぜている時だった。どん、と背中を押されて、私は派手な音を立ててプールの中に落ちていった。目に水が入る感覚がして、ぎゅっと目を閉じて水面に浮上する。ごしごしと顔を手で拭いて、視界の焦点が合うと、美憂が楽しそうに笑っていた。

「危ないやろ、流石に」

「ごめんて。……よっしゃ」

 全然謝る気のない謝罪の言葉を口にすると、美憂はプールのへりから軽くジャンプをして、私の隣に飛び込んだ。スカートの花が咲いて、水中に萎んでいく。しばらくすると、長い髪の毛をぺちゃんこにさせた美憂が浮上してきた。

「やば、気持ちいい、最高」

「そりゃよかった」

 私はそう言って、仰向けになってぷかぷかと浮かんだ。空は夕焼けで視界の端っこの方が赤く染まっていた。私が水が動くのに任せて浮かんでいると、美憂も隣に浮かんできた。

「めっちゃ綺麗」

 美憂はそう端的に言った。情緒なんてものがなかったけれど、私は美憂のそのはっきりした物言いが好きだったのだ。

「美憂」

「ん?」

 私が呼ぶと、美憂は浮いたまんま少しだけこちらに顔を向けた。濡れた前髪が変な模様を描いて額に張り付いていた。近くで見て初めて気づいたけれど、美憂の頬はほんの少し腫れていた。

「ずっとこのままいたいな」

「いればいいじゃん、しばらく」

 私が勇気を出してそっと言うと、美憂はあっけらかんとそう返してきた。違うんだけどな、と思いながらも、私は「うん」とだけ返事をした。美憂は私の気持ちなんて知らずに続けた。

「そういえばさ」

「うん」

「フラれちゃったし、次の休みは二人で遊ぼうよ」

「私が彼氏いる可能性は考えてくれへんの?」

「えっ、言ってよ」

「いやいないけど」

 そんなことを言いながら、私たちはけらけら笑った。そうやって誘ってくれるだけで満足だった。プールの水が少しだけ口の中に入ったけど、気にならなかった。もう少しだけこのままいれますようにと思いながら、私はどうでもいい話をずっとし続けるのだった。



 

執筆:らっこ

制作:飯野瑠奈

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