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  • 執筆者の写真らっこ(編集)

まよいびと




 世の中には善悪が存在する。

 死後の世界では、人間は悪行を為さず、善の心を持つことで六道輪廻から脱却できるとされてきた。人間は現世で行ってきたことを、全て記録されている。

 倶生神は、人の善悪を記録する神である。彼らは人が生まれると同時に生まれて、常にその人間の両肩に乗っかって、全ての行為を記録するのだ。

 右肩に乗っている女神は同生といい、悪行を記録した。左肩に乗っている男神は同名といい、善行を記録した。彼らは、乗っている人間が死んで亡者になれば、亡者の死後の処遇を定めてもらうため、閻魔大王に今まで記録してきた全てを報告するのであった。


 さてそんな閻魔大王の目の前に、侘助という一人の男が生涯を終え、亡者となって立たされていた。

 侘助は自分が地獄に落とされると確信していた。というのも、侘助は自分が、裁きを受けるべき人間だと思っていたからだった。侘助は昔から臆病者で、はっきりものが言えず、いつもいじめられて育ってきた。仕事も何もうまくいかない。幸運なことに妻をもらったが、そばにいること以外何もできないでいた。

 そんな侘助に、閻魔大王はこう問うた。

「貴様は現世で、戒律を守ることができたか」

 その声は雷が落ちたかのような、恐ろしく大きい声であった。

 侘助は体を小さくしながら、細い声で「いいえ」と答えた。

「守ろうと努めてはきましたが、全てを守ることはできなかったように思います。更に私は生きている間、何の善行も成し遂げることは出来ませんでした。私は地獄へ落ちるべき人間です」

「ほう」

 閻魔大王は興味深そうに侘助を見た。今までにも、自分が地獄へ落ちるべきだという人間は度々見てきた。しかしその人間たちは、そう言ってみせることで、自分の罪を軽くしてもらおうと考えるものがほとんどであった。大抵は同生がそれを見極め、報告してくれるのだが、今日は何も言ってこなかった。なるほどこの侘助という男は、貧相な体を震わせながら、自分の罪を認め、深く嘆いているようであった。

 閻魔大王は倶生神らを呼びつけ、「現世での記録を報告せよ」と促した。

 倶生神らは恭しく参上つかまつって、記録を述べ始めた。



 まず同生が言った。

「この侘助という者は、冬の寒い中、一人の老人の物乞いを断りました。そしてその結果、老人は体を崩し、まもなく息を引き取ったとあります」

「成る程。それに覚えはあるか」

 閻魔大王が聞くと、侘助は首を縦に振った。

「はい。そのご老人は今日一日何も食べていないのだと言っておりました。私はこのまま何もしなければご老人は死ぬかもしれないと思いましたが、断って帰ってしまいました」

「ふむ。もしこの者が何かを恵んでいれば、その者は助かったかもしれないと考えると、悪行のひとつとしても相違ないであろう」

「しかし大王」

 ここで同名が声をあげた。

「異論があるのか、同名」

「恐れながら、大王、この者は確かに老人の物乞いを断り、結果的に死に至らせました。しかしその時、彼が持っていたのは、自分の妻と子供のための数少ない食糧でありました。もし彼が老人を助けていたらば、今度はその妻と子供は飢死にしていたやもしれません。そしてその者は、その日の食糧がそれでも足りなかったので、自分のぶんも彼女らに分けてやったとあります」

「ほう」

 それを聞いて、閻魔大王は侘助を見た。

「それは本当か」

「は、はい」

 侘助は今度は少し怯えながら言った。

「しかし、それは当然の振る舞いであります。妻は産後で、物を食べずにはお乳が出ませんでしたから。ですが、わたしがその日もう少し稼げていたらば、ご老人にも何か恵んで差し上げられたはずです。私が無力だったのです」

 そう言って頭を下げた。

 閻魔大王は侘助を見て、これに対してこう述べた。

「確かに貴様は老人を見殺しにした。しかし同時に、飢えに苦しむ妻子を救ったとも言える。これだけで地獄に行くと結論づけるのは早計である。他の記録についても聞こう。同生、他にあるか」

「はい」

 同生は頷いた。

「この者は、妻子に何もしてやれなかったことを嘆いているようです」

 倶生神は、亡者の行いだけではなく、生前その人間が何を考え生きていたかも事細かに記録しているのであった。

「と、いうと」

「村の男どもは、妻や子どもに綺麗な衣服や、十分な食糧を恵んでおりました。しかし先ほど同名が申し上げましたとおり、この者の生活はひどく苦しいものでありました。その日食べていけるのがやっとという有り様です。というのも、この男は最初は商人、そして金貸し、そして最後は農民と、仕事を転々としておりました。どの職業もうまくいかず、そのような有様になってしまったのです。」

「自分のために妻子に貧しい思いをさせたことを恥じていると」

「そういうわけでございます」

 そう言って同生は頭を下げた。

 閻魔大王は再び侘助を見て、こう命じた。

「貴様はこのことをどう思っているのだ。今貴様の口から申してみろ」

「はい。私は無力な人間でありました。昔から無口な人間でありましたから、客寄せがうまくいかず、商売は繁盛しませんでした。また騙されやすく、のろまな性格のせいで、金を貸した人間にはすぐに逃げられてしまい、金貸しの道もうまくいきませんでした。農業は、最初こそ上手くいっていたのですが、次第に不作に陥ってしまいました。どれもこれも、私の無力さが招いた結果でございます」



「成る程」

 侘助の言葉に、閻魔大王は頷いた。

「貴様に罪の意識があることはよく分かった。同名はどうだ」

「はい」

 同名は再び前へ出た。

「先程の同生の記録でありますが、確かにこの者は生涯仕事がうまくいかず、妻子に苦労をかけました。しかし私の記録によりますと、最初に始めた商売は、繁盛こそしなかったものの、訪れた客には丁寧な態度で接し、贔屓にしていた客もいたとあります。また、金貸しが上手くいかなかったのは、彼が人の言葉を素直に信じてしまうからでありましょう。そして最後に手をつけた農業は、他の若者に土地を交換して欲しいと頼まれ、良い土地を手放してしまったからです。」

「それぞれに理由があるのだな。それは勿論考慮しよう。しかし、優しさ故に妻子に苦労をかけていてはならぬ」

「はい。もちろん苦労はしていたようですが、しかし、この者の妻は少しもそれを不満に思ってはおりませんでした。この者がいつも妻子のことを気にかけていたからでしょう」

「ふむ」

 閻魔大王はその長い髭を撫でながら、侘助に向き直った。

「異論はあるか」

「い、いえ、ただ……」

「ただ、なんだ」

 閻魔大王が促すと、侘助はすんと鼻をすすりながらこう言った。

「妻が私のことを不満に思っていなかったということは、本当なのでしょうか」

「はい」

 同名はすかさず頷いた。

「妻は自分のために夫が懸命に働いていることを理解しておられましたから」

 同名がそう言うと、侘助はほろほろと涙を流した。

「ああ、よかった、よかった」

 その様子を見ながら、閻魔大王は言った。

「貴様は自分を罪深き人間だと思っているようだが、倶生神らの記録によると、お主は穏やかで優しい心を持ち、日々懸命に生きていたとある。同生が記した悪行も、ほとんどが理由あってのことであった。ここでは勿論それを考慮する」

「はあ」

 侘助は面食らって、ぽかんと口を開けたままだった。自分がそのような評価を下されるとは、思ってもみなかったからだ。

 しかしその後、閻魔大王はこう続けた。

「しかし、貴様はひとつ罪を犯している。人々の感謝に気づけなかったことだ。善行を当たり前だと思うのは良いことであるが、感謝をする人々の存在を蔑ろにしてはならぬ。自分を否定することは、その者を否定することとなるからだ。よって貴様は地獄には落とさないが、極楽にも行かせることはできぬ。もう一度人間道に行くのだ」

 閻魔大王がそう言うと、後ろに控えていた書記官が筆を走らせた。

 そうして侘助は地獄道を免れ、深々と頭を下げた。





 

執筆:らっこ

制作:Cataramo

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