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  • 執筆者の写真らっこ(編集)

キスツスの花




 ずっとピアノが好きだった。

 小さい頃からピアノを習っていた。負けず嫌いだった私は、人一倍練習をして、周りの友達の誰よりも上手くあろうとした。小学校と中学校の合唱コンクールでは、いつも大きなピアノの前に座っていた。すごいねと褒められて、ありがとうと言いながら、少しだけ自分が物語の主人公になったような気分でいた。ピアノだけが取り柄だった。上手く弾きたくて、ずっとピアノの前に張り付いて、一日中弾いてることだってあった。


 ── 高校の時の話だ。

 私の通っていた学校は、一年生と二年生は、恒例で合唱コンクールがあった。三年生は受験勉強をしなければならなかったから、なかったのだけれど。一年生の時、私は伴奏者に立候補して、たくさん練習をした。その合唱コンクールでは、一番上手だった伴奏者に、賞が贈られることになっている。私はそれが欲しかった。誰よりも上手でありたかったから。

 舞台に上がる瞬間はきっと誰でも緊張するもので、少し指が震えていたけれど、無事に弾き終わることができた。クラスメイトのやり切った顔と、大きな拍手。でも、次のクラスの発表の時に、私の自信はぐちゃぐちゃに潰されることになってしまった。

 そのクラスの伴奏者の女の子は、私より少し背が低いくらいで、肩までの黒髪を綺麗に垂らしながら、すっと背筋を伸ばして壇上に上がっていった。緊張なんてこれっぽっちもしてないようで、にこにこ笑いながら、アップライトピアノの前に座った。

 指揮者の子が腕を上げて、振り下ろした瞬間から、私はピアノの音しか聞こえなくなってしまった。上手い子は一音目で分かる。そうピアノの先生が言っていたけれど、その子の音は他の子とは全く違っていた。もちろん私とも。アップライトピアノの鍵盤は、グランドピアノより軽くて、丁寧に指を使わないと、どこか空回った音になってしまう。その子の弾く音は、そんなことを微塵も感じさせないくらい、透き通っていて、体育館中に響いていた。色がある、かといって歌声を邪魔していなくて、すっと耳に入ってくる音。散りばめられた抑揚が耳に入るたび、きゅっと胸が締め付けられる。

 ピアノの音が鳴り止むと、大きな拍手が自分の周りから聞こえた。さっきまで嬉しかったその音も、うるさく思ってしまう。もっと聞きたかった。どうしてあんなピアノが弾けるのか、知りたかった。

 やっぱりと言っていいのか、その年の伴奏者賞はその子のものになった。クラスの子はお疲れ様、と声をかけてくれたけれど、その時はちっとも悔しくなかった。妥当だと思ったから。その子が飛び抜けて上手かったから。手が届かないくらい、差があったからだと思う。


 二年目、再び私とその子はクラスが別々だった。合唱コンクールがある学校で、ピアノを弾ける生徒をばらけさせることは暗黙の了解のようになっていた。小中学校からずっと他の伴奏者のことを気にかけていたから、だいたい予想はしていた。その年の私たちのクラスは、課題曲の中でも、伴奏がとびきり難しいものを選んだ。私はやっぱり伴奏者に立候補した。私の他にもう一人、ピアノが弾ける子がいたけれど、曲が難しすぎると断念した。余計に責任感が増したけれど、心地のいい重圧だった。私は一年目以上に練習を重ねた。あの子のように弾けたら、どれだけいいだろう、と思って。上手く弾けるようになるたびに、あわよくば、あの賞を次は自分が取れないだろうかと考えもした。

 そして本番当日が来た、私はまた、震える指を誤魔化しながら、最後まで弾き切った。大きな拍手が送られて、それは去年よりもずっと大きく聞こえた。観客席に帰ってくると、「ピアノすごかったね」と囁く声が聞こえてきて、どくどくと胸が高鳴った。

 その子はもう二つ次だった。その子はまた、落ち着いたような、それどころかどこか気の抜けたような顔で、ピアノの前に座った。その子のクラスの選んだ曲は、私のクラスよりずっと伴奏の簡単なものだった。でも、その子の一音目。だめだ、と思った。今年も賞はきっとこの子のものだった。歌声に優しく寄り添うような音色が響き渡って、私はやっぱりこの子に届かないのだと確信していた。

 伴奏者賞が発表されるとき、私はとっくに諦めていて、あの子の名前が呼ばれるのを待っていた。ぼうっと司会の声を聞いていると、急にわっと私の周りで歓声が起こった。戸惑っていると、クラスメイトが「おめでとう」と祝福の言葉を口にした。

 どうやら私の名前が呼ばれたらしかった。私はふらふらした足取りで、壇上へと向かう。大きな拍手の中で、賞状を受け取った。実感が湧かないまま、壇上で客席の方を向いて、一礼する。顔を上げた瞬間、客席にいるあの子の顔が見えた。その子はにこにこ笑いながら、私に祝福の拍手を送っていた。これっぽっちも、悔しそうな顔なんてせずに。

 私は恥ずかしくなって、足早に壇上から駆け下りた。受け取った賞状をその場でグシャグシャにしてやりたかった。先生は何を聞いていたんだろう。これをもらうべきなのは私じゃないのに。私はただ難しい曲を弾いただけで、それだけだった。自分の席に戻ると、またクラスメイトからおめでとうと声をかけられた。「すごかったね」「上手だったもんね」—そのどれもが全部うるさくて、掠れた声でありがとうと言いながら、私は賞状の端っこを強く折り曲げた。





 

執筆:らっこ 

制作:飯野瑠奈


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