ある川に、一匹の小さな魚がおりました。
魚の一日は平凡で、普段は川の中の小さな生き物や、草なんかをちょいちょいと食べて、たまにお昼寝をしたり、お水の綺麗な上流の方へお出かけしたり。特別なことはなかったけれど、毎日楽しい、そんな日常を過ごしておりました。
その日は、お日様がさんさんと照っている、夏の暑い日でした。魚はすいすいと水の中を泳いで回っておりましたが、お日様に照らされている水面がきらきら光っているのが綺麗で、思わずそこへと泳いでいきました。ゆらゆら揺れる光を追いかけ回して遊んでおりますと、ふとした拍子に水面から顔が出てしまいました。目の前にはすこし大きな岩が、水面から浮き出て覗いていました。そしてその上では、一羽のカワセミが、こちらをじっと見ているではありませんか。魚はびっくりしてしまって、身動きが取れずにいました。
そのカワセミは、動けなくなってしまった魚をしばらく見つめた後、「驚かなくていいのよ」と綺麗な声で言いました。
「私はあなたを食べたりしないから」
魚はまたまた驚いて、その大きな目でじろじろとカワセミを見つめました。
「どうして? 鳥は魚を食べるものでしょう」
「私は食べないわ。だって、あなたとお友達になりたいんですもの。あなただって、お友達のことを食べたりはしないでしょう」
カワセミはそう言って、「これは親愛のしるしよ」と小さなお花をそっと水に浮かべてやりました。
魚はそういうものなのかしらと、恐る恐る近づいて、お花をつっついてみました。カワセミは動かずに、それをじっと見ていました。
「私、あなたとお友達になれるかしら」
カワセミは小さく聞きました。
「君は、僕とお友達になって、何をしたいの」
「一緒にお喋りしてくれるだけでいいのよ。普段は他の鳥さんとお喋りしているのだけれど、彼女たち、とっても高い声で鳴くんですもの。うるさくってたまらないわ」
カワセミはそう言ってチチチ、と鳴きました。それがあんまりにも高い声だったので、魚はおかしくなって、お花のまわりでくるくると回って見せました。
「僕、君とならお友達になれる気がするな」
「ほんとう?」
「うん」
魚がそう言うと、カワセミは嬉しそうに、またチチ、と鳴きました。
「でも、もし違う鳥が来た時に、君じゃなきゃ困っちゃうな」
「それなら、私が来たときは、こうやって鳴いてみせるのはどうかしら」
カワセミは、チー、チッチッ、と鳴いてみせました。
「そりゃいいや。僕だったら、水の中でも君の声を聞けるからね」
「すごいのね。じゃあ、それで決まりね」
それから、魚の1日は少しだけ変わりました。いつもお昼寝をして、お出かけをしている時間になると、カワセミの高い声が聞こえてくるようになりました。チー、チッチッ。その声が聞こえると、魚はカワセミと出会った岩のところまで泳いで行きました。カワセミは魚がまっすぐこちらへ泳いでくるのを見つけると、そっとお花を浮かべてやりました。それが合図になって、魚はゆっくりと水面から顔を出しました。
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一羽と一匹は、たくさんのお話をしました。
魚は、カワセミの知らない川の中のことを。魚は家族が多かったので、泳ぐのが上手なお兄さんのことや、餌を取るのがじょうずなお姉さんのお話なんかをしました。そして変な形の石を見つけたときは、それを咥えて、カワセミに見せてやりました。カワセミは魚の口からそれを取って、自分のいる岩の上に置いて見て楽しみました。
カワセミは、魚の知らない陸の上のことを話してくれました。魚は、鳥のほかに、人間も知っていましたが、見つかると彼らは自分たちを捕まえようとするので、よく見たことはありませんでした。カワセミはいつも、木の上から人間を眺めておりましたから、そこで見たことや、他の鳥から聞いたことなどを、話して聞かせてやりました。そして時には、魚のために、歌ってやることもありました。
「本当は、メスはお歌は歌わないから、下手っぴなの」とカワセミは言いましたが、魚は鳥がなぜ歌うのか、よく知らなかったので、気にしませんでした。「僕は君のお歌、好きだよ」と魚が言うと、カワセミは嬉しそうに、短くチチ、と鳴くのでした。
しかし、秋がすぎて、冬にさしかかってくると、魚は少しだけ、変だなと感じることがありました。カワセミはいつも、魚がうつらうつらしていると、びっくりするくらいの音で鳴いてくれていました。ところが最近は、どこか弱々しく、元気がないようでした。さらにどこか体が細く見えて、魚は心配になって訊ねました。
「何か、嫌なことでもあったの?」
「どうして?」
「元気がないように見えたから」
魚がそう言うと、カワセミはチ、と短く鳴きました。
「そんなことないわよ。とっても元気」
「でも……」
「それより、今日はとっておきのお話があるのよ。私のおうちの近くの人間の家に、猫さんがやって来たから、お話をしたのよ──」
カワセミが話し始めると、魚はすっかりそれに聞き入ってしまって、その日は結局何にも聞けずに終わってしまいました。
冬が深まるにつれ、カワセミはみるみる痩せていきました。カワセミはそのことを聞かれたくないようだったので、魚はあの日から何にも聞けずにいました。
しかし、薄く雪の積もったある日のことでした。魚は川が凍ってしまわないか心配していましたが、そうなる前に、小さなカワセミの声が聞こえてきました。魚がいつもの岩のそばへ行くと、綺麗な青い体に、うっすらと雪を積もらせたカワセミがいました。カワセミは魚を見ると、申し訳なさそうに言いました。
「ごめんなさい。今日はお花を持ってこれなかったの」
「ううん、気にしてないよ。だって、雪が降っているんだもの──」
魚がそう声をかけていると、カワセミはその場に静かに倒れてしまいました。魚は慌てて、冷たい水面をぴちゃぴちゃいわせて飛び跳ねながら、カワセミを呼びました。
「どうしたの?寒いの?」
「お腹が空いたの」
カワセミは力なく言いました。
「じゃあ、今日はもう帰って、ご飯を食べなくちゃ。最近痩せているようだったから、心配だったんだ」
魚はそう言いましたが、カワセミは悲しそうに目を伏せてしまいました。
「駄目なの」
「どうして?」
「最近、食べるものがないの」
カワセミは普段、寒くなってくると、あたたかい場所へと移動していたのでした。しかし今年、カワセミは移動をしませんでした。一冬くらいなら何とかなるだろうと思っていましたが、川のほかの魚は、冷たい水面に上がってこようとしなかったからです。
魚は困って考えこんでしまいました。雪がひどくなり始めて、あおいカワセミの翼を白く染め上げていました。魚はしばらくすると、思いついたようにこう言いました。
「じゃあ、僕を食べればいいよ」
「まあ」
カワセミはそう言って、悲しそうに目を見開きました。
「そんなこと言わないで。お友達を食べたりするわけないじゃない」
「でも、お友達を助けたいと思うのも、普通のことだと思うけれど」
魚が説得している間にも、雪はどんどんひどくなってきました。魚はしびれを切らして、水中から思い切り飛び跳ねて、カワセミのいる岩へと着地しました。そして、なんとか体を動かしながら、カワセミの口元へと近づいて行きました。
「ねえ、ほら、早く。お願いだよ」
魚は必死に訴えましたが、カワセミは口をかたく閉じて、何にも言いませんでした。そうして、次には目も閉じてしまって、石のように、じっと動かなくなってしまいました。魚はずっとそばにいたいと思いましたが、降り積もる雪に押し流されるようにして、また水の中に落ちてしまいました。陸の上できらきらと輝いていた雪は、水の中では、重く、暗く見えるのでした。
そのあと、水面が凍ってしまったので、それを待つ間、魚はカワセミのもとへ行くことができませんでした。しばらくして、岩のところへとまた泳いで行ってみましたが、カワセミの姿はありませんでした。
それからまた、魚は平凡な一日が始まりました。ご飯をたべて、お昼寝をして、お出かけに行きます。もとの日常に戻っただけでしたが、魚はちっとも楽しくなんてないのでした。そして高い鳥の声を、うるさくて堪らないなと思って聞くのでした。
執筆:らっこ
制作:鳥池グリ子
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