
一寸先すら見えないような、真っ暗な世界の中にうっすらと浮かび上がる小道が辛うじて見える。その小道を二人の妖精が並び歩いている。
「この道を歩くのも、もう何十年ぶりかな」
妖精の一人、べトーレが言った。
「子供の頃は、肝試しによく皆で遊んだものだね。真っ暗闇の中を、出口の人間界まで競争したりもした」
隣のクロスが懐かしそうに言った。二人とも姿は子供だが、妖精としては立派な大人である。
「あの頃は皆、良くも悪くも対等だったなあ。ほら、あの『おてんば娘』だったシーラも、今じゃ春の妖精長に大抜擢だ」
「出世したなあ」
会話はそこで途切れてしまった。暗闇の他に何もない道に二人の足音だけが響く。
しばらくして、べトーレが思い出したように口を開いた。
「そういえば聞いたかい、冬の妖精長がご逝去されたって話」
「もちろんだよ。突然のことで、何と言っていいか……」
クロスが声を震わせた。
「春夏秋冬のそれぞれを、妖精の中の妖精が『妖精長』として司るのが決まりだ」
べトーレが続けた。すぐ近くで何かが羽ばたく音がする。
「冬の妖精長がお亡くなりになられた今、私たちも『妖精長』に選ばれるかもしれないよ」
「馬鹿、そんな不謹慎なこと」
こう答えつつ、虎視眈々とその座を狙っていたクロスにとって、冬の妖精長の死は内心願ってもない出来事であった。訃報を聞いた時、思わず笑みがこぼれた。
「……でもまあ、これからどうなるのだろうね。任命されたら拒否権は無いんだろう?誰が選ばれるんだか」
実際のところ、べトーレが次期妖精長に選ばれそうだという話を、べトーレ本人すら聞かないうちからクロスは密かに耳にしていた。
彼女がべトーレを祝福する気持ちに到底なれなかったことは言うまでもない。社交性や能力に自信のあったクロスは、自分が選ばれるものと信じ切っていた。三日三晩、羨望や葛藤とともに酒を飲み、ついには湧き上がる嫉妬に抗えず、何も知らないべトーレを妖精界から追放するためにこの散歩へと誘い出した。友人を裏切る後ろめたさも無いわけではなかったが、それほど妖精長の座は、彼女が欲しくてたまらない代物であった。
「私は案外、君が適任なんじゃないかと思うよ」
無邪気なべトーレは朗らかに答えた。
「年長者たちとも仲がいいし、他の妖精長とうまくやれるんじゃないかな。四季を巡らせるのに、妖精長どうしの協力は不可欠だから」
クロスは少しうろたえた。宿敵抹殺に躍起になっていた心に、仮にも仲間であった人物を陥れることへの罪悪感が浮かび始めた。
「そうかな」
クロスは平然を装った。突然、べトーレとの昔の思い出が走馬灯のように蘇ってくる。自分は情に欠けたとんでもない企みに酔っていたのではなかろうか、今からでも戻ろうかと迷った。しかし彼女の足が止まることもなかった。
暗闇の小道の足元を見ると、ぼんやりと苔やキノコの影がある。追放先である人間界が近づいている。一匹の蝶が耳をかすめた。
「その論理でいくなら、それこそ君が適役だよ。妖精長は動植物たちを取りまとめるのに苦労するそうじゃないか。君ならきっとうまくやれるよ」
動揺しつつも世辞の言葉はすらすらと口から出た。同時にこの心にもない称賛は、高慢なクロスの胸に一種の吐き気を催させた。他人を褒めることほど、彼女にとって屈辱なことはなかった。彼女は段々、炎のような元の強欲を取り戻し始めた。
大したことはない。ひとたび森へ出て、一言、追放の呪文「ダリテ」と言ってしまえばべトーレとは永遠に決別する。妖精長の座は一つきりだが、べトーレのような友はいくらでもいる。
「ははっ、ありがとう。おや、もう森か」
べトーレはにこやかに言った。背の高い柳の木が、風に吹かれてゆらゆら揺れている。クロスは大きく息を吸った。
「ここだけの話、べトーレ、君を妖精長にすると言う話がもう出ているそうだよ」
「へえ、そうなんだ」
「私はずっとその席が欲しかったんだ。だからさ、悪く思わないでくれよ」
べトーレは黙って聞いていた。クロスは、ベトーレの優しげな青い目を見据えた。
ダリテ、と先に言ったのはべトーレであった。挨拶でもするかのように穏やかに。クロスは耳を疑った。悪いね、とべトーレは続けた。
「迷いながら裏切ろうとしちゃいけないよ。だから君は出世できないんだ」
クロスの体はたちまち何匹もの蝶へと変わった。ふふん、と鼻を鳴らしたべトーレは蝶に背を向けて、何事もなかったかのようにもと来た道を歩き出した。彼女がとうの昔に昇進談を知っていたのも、前任を殺してその座を掴んだことも、今となってはクロスが知る術はない。
後には淡い月明かりの中を、極彩の蝶がちらちらと舞うばかりであった。
執筆:もりやまさくら
制作:伊達奈々実
Comentarios